#田中ゆきの視察報告@沖縄愛楽園(2023.11.01)

 沖縄愛楽園は、沖縄県名護市の屋我地島に位置する、国立ハンセン病療養所です。沖縄愛楽園の設立に至るには、ハンセン病への差別や偏見から、何度も候補地が挙がっても、地域住民からの反対により、設立できなかった経緯がありました。

 明治40年に日本政府はハンセン病患者の隔離政策を始め、昭和6年には全ての患者を療養所に生涯隔離する「癩予防法」を制定しました。医師や警察官が患者の家を訪れ、患者は療養所に収容され、家は消毒されました。その様子から、ハンセン病は「恐ろしい病」というイメージが広がったと言われています。

 沖縄愛楽園においても、隔離政策下の面会所では、ベニヤ板で仕切った部屋に小窓を通してのみの面会しかできず、面会者も感染防護服を着用し、監視下にての面会でした。また、療養者の方々が暮らすエリアと医療従事者等のエリアは、コンクリート塀で仕切られ、不潔区域・清潔区域として、分けられていました。

 そのような隔離生活を通じて、療養者の皆さんは、ハンセン病への差別や偏見に恐怖を覚え、回復しても、家族とともに暮らすことができなかったり、社会に出ても罹患経験者であることを隠すといった、辛い思いをしました。

 また、沖縄愛楽園は、戦時下、壊滅状態になるほどの空襲を受けました。戦争中は、日本軍により多くのハンセン病患者が収容され、防空壕を掘るよう命じられました。その作業は、神経障害のあるハンセン病患者にとっては、手や足に傷を負っても気づくことができず、痛み等がないことから、傷口が化膿し、切断しなければならない、敗血症により命を落とす方も少なくありませんでした。沖縄愛楽園での戦没者315名のうち、爆撃による死者は1名、他は作業による傷口の悪化、栄養状態、衛生状態の悪化によるものでした。

 沖縄愛楽園には、園内に2カ所、園外に2カ所の納骨堂があり、戦争でお亡くなりになった方、引き取り手のない方、堕胎によりこの世に生を受けられなかった胎児の遺骨が祀られています。療養所では子供を産み育てることが認められず、男性を不妊にする断種や女性の堕胎が行われ、生まれてくることができなかった子どもの碑も建てられています。

 平成8年に「癩予防法」が廃止になりましたが、長きに渡った隔離政策により、またハンセン病に対する誤った理解により、苦しむ方々がいます。幼い頃に愛楽園に隔離され、家族と会うこともなく、生涯を終えられた方、退所後も元ハンセン病患者と分かったことで、不利益を被る方がいます。

 平成13年には、元患者たちが隔離政策による人生被害が裁判にて認められました。令和元年には、患者本人だけでなく、地域社会から排除され苦しんできた家族や親族も「癩予防法」の被害者と認められました。

 沖縄愛楽園での辛く悲しい人々の歴史を繰り返さないために、未だ差別や偏見に苦しむ、元ハンセン病の方々やご家族の人権が守られるよう、ハンセン病の正しい知識の普及、差別や偏見のない社会の実現へ向けて、社会全体として取り組む重要性を認識しました。

 またハンセン病のみならず、様々な病気や障害により、差別や偏見に苦しむ方がいます。あらゆる世代に人権教育を行い、皆が認め合い、安心して暮らせる社会を目指したいと思います。

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